前回書いたように、僕の「いきものデビュー」は「茜色の約束」が収録されている「ライフアルバム」。

ははぁ、この3人組なんだなと思いつつ・・・名前が読めない。

水野良樹は「みずのよしき」で問題ない。これは中学生にだって読めるだろう。

問題は山下穂尊。

やました・・・ほ・・・。

やました・・・ほ・・・そん。

やました・・・ほ・・・とうと?

そして吉岡聖恵。

よしおか・・・せいえ?

せいえ、せいえ、せいえと繰り返して発音していると、一世風靡セピアを思い出した。

いやいや、「せいえ」じゃぁないだろうと思っていたら、脳裏に菊池桃子が出てきて「空にSAY YES!」と微笑んでいた。




ま、実際はネットで調べてすぐにわかったことだが。


作詞作曲者、歌詞を見ながら僕は感じたものだ。

水野っつーのは、実に明るいポップなハンテンションナンバーを作るんだなと。

そして山下の楽曲のなんと深い、メロディアスな世界。

かなり大雑把なくくりだが、水野の世界は「明るく楽しく」で、山下のそれは「美しくシリアス」ではないかと。

ここで、ファンならずともおおむね知られているいきものがかりの結成を考える。

彼らは最初、水野と山下の二人だった。楽曲の制作をいつ頃から始めたのか知らないが、水野は山下の世界を「自分とは違う」と感じ、山下もまた「俺にはない世界がこいつにはある」と思ったに違いない。そうして二人はお互いに認め合ったはず。卓越したものをそれぞれが持ち寄って結成された路上ユニット「いきものがかり」は「こいつとやる音楽はめっちゃ楽しい」という原動力によってスタートした。たぶん。


が、路上でのパフォーマンスは、おそらく時として心無い仕打ちにもあう。男性二人のユニットを見て、「あぁ『ゆず』のマネだろ?」的な冷たい言葉もあったんではなかろうか?山下自身、「ゆず」に共感して始めたものだからそれは図星であり、返す言葉もない。プロデューサーはいないし編曲者もいない。たぶんリードとベースのギターだけという数少ない楽器で若者二人ががなりたてたところで、そのメロディも歌声も相模大野の青空に雲散霧消するだけ。当初は女子高生の群れを相手に始めたものだし、「かっこいい!」とか「キャー!」とか言われて終わっていた。おそらくは、「もっとちゃんと聴いて欲しい!」「聴く者の胸に届けたい!」という気持ちが募ってテコ入れを図ったに違いない。

そしてそれは、彼らが音楽に対して本気だったからに他ならない。吉岡の加入によって、少なくとも「女の子にもてたくてやってるわけじゃない」のだなと、見られ方が変わる。また、女子高生の群れを相手にすることから脱却して、より規模の大きい(と思われる)本厚木や海老名へと活動の場所を移したことからも、彼らが心身ともに「動き出した」ことが知れる。


そうやって、そこに初めて「いきものがかりが誕生した」のだと僕は考えている。

「画竜点睛を欠く」というが、吉岡抜きの水野・山下はまさにそういう状態だったと僕は見ている。水野と山下の手による楽曲はとても質が高く、過去にあったどういう曲と比べても模倣やなぞりの類を想起することはまずない。単にオリジナリティに溢れているに留まらず、躍動感や高揚感をかきたて、人の胸に沁み、涙腺を刺激するノスタルジックな作品群だ。だがそれほど素晴らしいものを作りながら、スピーカーなしでは残念ながら人々の耳には届かない。吉岡抜きでは、本当に相模大野の空に消えて行って終わりだった。訴求力に欠けていたのだ。人に伝える、訴えるという意味において、この吉岡というキャラクターはどんぴしゃ。前回書いた、天賦の吉岡ボイスのおかげであり、加入当初は「ただでカラオケできる」とばかりに「な~んも考えずにひたすら歌い倒した」きよえがいたはず。

「音楽に国境などない」という。僕もそう思う。何故なら考えなくていいからだ。言葉なんかわからなくても、ルーツやジャンルなんか知らなくても、「それは感じればいい事」だからだ。僕が「茜色の約束」に吸い寄せられた時、歌詞なんか知らなかった。どんなバンドかも、作ったのが誰で、歌っているのが誰なのかももちろん知らない。でも僕は感じたのだ。何しろ感じたのだ。言葉で説明することなんかできない。胸にじわじわと熱いものがこみあげて来て、とっても心地よくて、「こんな自分でも生きている」ということを強く実感したのだ。


水野と山下によるハイクオリティな楽曲に吉岡ボイスが加わり、いきものがかりは魂を宿した。ファンが増えない道理がない。山下が水野に声をかけたのが始まりで、そこに吉岡が加わったいきものがかり。こいうケースは高校時代にいくらでもあるケース。実に身近にあるありふれたパターンだ。かくいう僕も、かつて高校3年の時に仲間と音楽をやっていた一人だが、「誰かの胸に届けよう」などという気持ちはなかったし、また「本気モード」の練習をしたわけでもなく、お遊びバンドで終わった。

が、いきものがかりは違う。僕が言いたいのは、そこらへんにいる若者があれほど完成度の高い楽曲を産み出し、小学生からお年寄りまで幅広い支持を集めることがすごくうれしい。日本全国に募集をかけてオーディションを勝ち抜いたわけでなく、幼少の頃から両親に英才教育を施された良家というわけじゃない。本当にそこらへんにいる若者が、ああいう温もりのある作品を提供してくれる。これは、誰にだって「いきもの」が宿っていることを表していると思うのだ。人には何であれ、秀でている面だとか得意としている何かがある筈で、不断の努力でそれをこつこつと磨いていけば、いずれは何らかの形になるのだといういいお手本でもあるからだ。彼らの音楽に触れていると、「命」の、「いきもの」の尊さが実にリアルに迫ってくる。


「3本の矢」というのは、戦国武将の毛利元就にまつわる話。

晩年の元就が3人の息子に言う。「そこにある矢を1本折ってみよ」と。

それぞれに難なく矢を折ってみせる息子たち。

次に、「それでは3本一度に折れるか?」と元就は問う。すると、1本なら簡単に折れた矢が、3本になると誰も折ることが出来なかった、とされている。これは元就にまつわる逸話であって、事の真偽は問わない。元就が言いたかったのは団結することの意義と大切さで、兄弟が力を合わせて事に当たれば何事も解決できると、気持ちを違えることなく3人が協同するのだぞ、と諭す話だ。


僕はいきものがかりを「3本の矢」になぞらえたい。

水野の楽曲と山下の楽曲はカラーが違う。水野がA面担当で山下がB面およびアルバム用の楽曲担当らしいが、それはそれぞれのカラーを活かした結果そうなっていると思う。いきものがかりの世界は水野だけでも山下だけでも成り立たない。最初に書いたように、水野の世界は「明るく楽しく」で、山下のそれは「美しくシリアス」だ。僕は、この対照はいわば「明と暗」であり、そして「光と影」だと考えている。お断りしておくが、僕は何も決め付けてはいない。「そういう感じを受ける」という事であって、それもかなり大雑把な感覚で、という事。しかも「ライフアルバム」の1作だけ見て、おおまかにだ。明るい山下の楽曲も、深い水野の楽曲もあると思う。たとえば「YELL」あたりは水野の作だけども、マイナーなトーンが全体を覆っていて、どちらかといえば荘厳で、悩み苦しむ若き日の気持ちが曲を支配している。孤独を自覚しながらも、それぞれの夢に向かって自己と闘う強い意思表示が歌われていて、そんな中にあっても、まためぐり逢う友がいて、こころにYELLを持ち続けている。「お互いがんばろう」という気持ちを忘れはしないと歌っている。新たな人生に旅立つ若者の心に深く刻み込まれる「荒っぽいけれども温かみのある」応援歌だ。この曲は全国中学校合唱コンクールの課題曲だし、またアレンジが松任谷正隆だからかもしれない。どういうわけか、僕は荒井由実の最後のシングルである「翳りゆく部屋」を思い出した。共通点って特にないと思うが、雰囲気で思い出したものだ。


この「光と影」は人にとって欠かせないもの。明るいばかりでは生きていけないし、暗く沈んでばかりでも始まらない。光があれば影があるのが人生。影があってこそ光は際立ち、影を乗り越えてこそまばゆい光だって射す。いきものがかりの作品群には、この両面があるからふところが広いのだ。

そしてさきほど書いたように、そこに命を吹き込んで人々の胸に届ける役割を果たす吉岡ボイスがある。


この3本の矢があるからこそ、いきものがかりはますます輝き、走り続けることが出来る。

そうして僕らの胸を打つ。


今回は少し長くなりましたが、また次回は別の角度から書くことにします。




さざんカルビ-ライフアルバム

そこらへんにあるあったかリアル 1.吉岡ボイス


僕が最初に聴いた彼らの楽曲は「茜色の約束」だった。携帯電話のCMソングに使われていて、すごく気になってアルバムを手に入れた。以来、すっかり「いきものファン」になってしまった。これから少し、彼らについて僕が感じることや考えさせられる事を書いていこうと思う。


まず惹きつけられたのは、ボーカルである吉岡聖恵の声だった。伸びがあって、力強くて、それでいてやさしく語りかける親しみのある声だ。この声はいい。どこまでも高く、遠くまで届きそうでいて、それなのにまるで隣りにいるかのような近さと温かみをおぼえる。この心地よさは、そう、体温に似たぬくもりをもった声なのだ。これを勝手に吉岡ボイスと名づける。


こういう声の歌い手がいたろうかと考えてみた。

例えば宇多田ヒカルの声は美しいと思う。けれども近さは感じなくて、上質で、気品を湛えたゴージャスなイメージ。ゴージャスな感じは、一時期ファンを魅了した鬼束ちひろとか時代がかなり違うが「赤い鳥」「ハイファイセット」と活躍した山本潤子(現在はソロでがんばってらっしゃる)あたりを想起する。

近頃活躍するアーティストで、AIとかJUJUなんかはまた異質な声で、ハスキーセクシー系の歌い手。

昭和の時代に活躍した歌手はたいがいミルキーボイスが席巻していたと思う。松田聖子がその代表。中森明菜はデビュー当時はミルキー系の声だったが、歌唱力が増して歌姫へと成長していく過程でゴージャス系へと脱皮した。それも濃密なゴージャスへと。

吉岡ボイスに似た歌手としては、例えばELTの持田とか元ジュディマリのユキあたりだろうか。ちょっとまとめてみよう。


ゴージャス系

宇多田ヒカル、鬼束ちひろ、山本潤子・・・

ハスキーセクシー系

AI、JUJU、最近スタジオが火事になったというUA・・・

あったか親しみ系

いきもの吉岡、ELT持田、ユキ・・・


近々ママさん歌手として復帰するらしい矢井田瞳は親しみのある声だが、ややハスキーが入ってて関西弁を使うせいもあって一気に下町化する。中島美嘉もハスキーセクシーしていて親しみはない。あとは浜崎あゆみのようなたくましボーカル系があるが、あまり魅力を感じない。

あったか親しみ系として持田を挙げたが、彼女は基本的にへたくそ。聴いていてつらい。ユキも親しみを感じるけれども、昭和のミルキーまじり。そこが支持されたのかもしれない。僕自身ジュディマリは好きなバンドだった。


ごちゃごちゃと書いたが、要するに僕は吉岡ボイスが好きなのだ。

美しさはなく、女性としての色気も薄いこの声にどうして惹かれるのかをもう少し考えてみると、おそらくそれは懐かしさやわかりやすさに行き着くのだと思う。必ずしも学校であるとか学生だとかを特定しないまでも、彼らの楽曲には高校生活を匂わせる内容のものが多い。彼らの年齢からして当然なのだが、そこに吉岡の「温かく近い声」が見事にはまる。何故なら、高校生活や青春のその時期というものは誰にでもあって、悩み苦しんだり将来への不安を思ったりという経験が聴くものの胸に必ずよみがえる。美しくない吉岡の声は、どちらかというと学級委員長の号令(全員!起立!礼!みたいな)的な活発さと隣の机に座るクラスメイトの気安さを感じさせるのだ。

聴くものを瞬時に「あの頃」に立ち返らせ、クラスに必ずいた元気な女の子の「聞き覚えのある声」を重ねる。懐かしく、温かく、心地よい。


「いきものがかり」というバンド名が示すように、彼らの楽曲には生きとし生けるものをひとしなみに愛する思いが溢れている。そういう事がわかる年齢というのは、やはり小学生では無理で、中学生なら理解しているが受身に過ぎない。高校生以上になれば、考え方も感じ方も大人と変わらず、ただしこわいものなしに加えて漠然とした将来不安を抱えているからたちが悪い。理解した上で反発したり無視したり逆にないがしろにし出すのだ。そこにドラマが生まれる。本当はわかっているのに素直になれない態度が自分の中にいつのまにか現れ始める。そのような、人としての成長過程ど真ん中を背景に吉岡ボイスが炸裂する。だから彼らの楽曲はより普遍性を持ち、そして胸を打つ。


次回は別の角度からまた考える予定です。


さざんカルビ-吉岡聖恵

そこらへんにあるあったかリアル 2. 3本の矢

前回、つまらない理由を3つ挙げた。

ひとつめ。人気・実力共にトップクラスの選手がメジャーに行ってしまってつまらない。

2つめ。140試合というやたらな長丁場がつまらない。この試合数はシーズンによって若干の変動があるものの、おおむねこのくらいだ。昔からそのくらいの長さではあるが、近年の様々なスポーツがもっと短いスパンだから、この140という数には正直萎える。1勝の価値も1敗の痛手も薄い。

3つめ。総合的な判断によって視聴率は下降を続け、今や地上波でナイター中継が行われることは極めてまれ、と言っていい。手軽に観戦できないから「場の共有」は得られず、臨場感もない。身近なものではなくなってしまい、つまらない。




このようなマイナス要因を解決する方法として、僕が考えた案は、ずばり短くすること。つまり昔そうだったように、2期制にするのだ。昔の2期制がどういった経緯で1期制になったかは知らない。知らないが、2期制にすることで多くの問題が解決または緩和されて、ペナントレースはもっと面白くなると思うがどうだろうか?


つまらない理由に挙げたひとつめの「メジャー流出」は残念ながら止められない。しかし、高校野球を考えたらいい。優勝という頂点に登りつめるまでに確か5勝か6勝だと思うが、その短い試合数の中で必ずヒーローが生まれる。140を2で割ると70になって、5~6試合とは比較できないものの、何しろこれまでの2倍の価値が勝敗に付与されるのだからその活躍の価値も上がるというもの。選手たちは濃い試合の中で必ずや成長するし、素質を持った選手の開花だって大いに期待できる。そうそう、甲子園の経験は選手たちを一回りも二回りも大きくするとも聞く。ヒーローはきっと出てくる。




つまらない理由に挙げた二つ目の長いという点については、これは言いにくいことになるが、全力プレーがどこまでやれているのかという問題が実はある。1勝の価値が低いということは、ワンプレーの濃度もそれに正比例して薄くなっている。今日がダメでも明日があるさ、というわけだ。試合後のインタビューで、監督(中日・落合を除く)は決まってこういう。「終わった事を悔やんでも仕方がない。切り替えてまた明日、全力でやります。その為の準備をきっちりやります。」と。「いやいや、ローテーションの谷間だったから、まぁ負けてもともとですから。」なんて事は口が裂けても言わない。思っていても言わない。そこはやはりプロだし、球場にわざわざ足を運んでお金を払って見に来ているファンを大事にしなきゃいけないから。従ってこれも大きな声では言えないが、例えば3連戦を戦う中で1、2戦に連勝したような場合、「このまま3つ勝て!」とファンは思っているが、実はやっている方は「・・・3つ目は負けてもいいんだがなぁ・・・」なんて考えていやしないだろうか?もちろん実際に3タテはいくらでもあるが、「負けてもいい」と考えつつやってるのに相手がつまらないエラーをしてやらずもがなの得点を与えて(もらえて)、結果的には「あれれ・・・うちが勝っちゃった・・・」って事があるんでは?なのだ。


つまりペナントはやたらに長いから、連勝街道を突っ走るのも連敗街道に沈むのも避けようという考えがチーム間にうごめいているのでは?という事。もちろん八百長をやっているなどと言うつもりはない。が、ゲーム差が開きすぎるのは総合的な判断からよろしくないから、「適度な感じで行きましょう」という考えが頭をもたげるのではないだろうか?サボりすぎず、がんばり過ぎない。チーム間には、ドラフトやトレードがあってもチームの資金力の差からしておのずと力の差が出る。金さえ積めば勝てるわけではないが選手の顔ぶれを見れば、優勝できそうなチームかそうでないかはだいたいわかる。それでも「興行を成り立たせるためには」そういうチームにも勝ってもらわにゃならんからだ。



これが、ペナントレースが半分になれば「これはうかうかしてはいられない」となる。「まだまだ勝負は先だから」と悠長に構えていたのが、少なくとも「悠長さが半分になる」と思う。投手にしても野手にしても、「一度失敗しても、チャンスは最低でももう一回もらえる」なんて考えていたのが、「いや、2度目はないかも」と考えるし、「2度失敗したらしばらくスタメンはないかな?」が「そんときゃ2軍だな」と危機感を持つに違いない。

ファンの方だってそうなのだ。勝てば今まで以上に盛り上がれるし、負けたときの悔しさも倍加するはず。選手の情報や発言・球団の動きも気になるし、その日の対戦相手だって気にする。連敗が続いてもたもたしてたら優勝が決まってしまうではないか。「もう遅い!」とがっくりする前に、「てめえら何とかしろよ!」と選手に直接ゲキを飛ばすべく、球場にも足を運ぶだろう。




そうはいってもさぁ、レギュラー張ってる選手なんか、何らかの故障を抱えながら懸命にやってると思うよ?チームの顔的な存在になればよほどのことでないと休めないし、そういう彼らには相当な負担になるんじゃない?という意見があるかもしれない。

そういうトップ選手の年俸を思い起こして頂きたい。1億は普通。中日の和田なんか4億ですよ。いや、和田のプレーがちんたらしているとは言わない。1億円プレーヤーがごろごろいるということ。かつての金額からすれば、野球選手の地位向上やモチベーションの為、野球少年の未来の為にもビッグな金額を手に入れられる意義は認める。けれども、バブル時代を経て今の不景気なご時世を思えば、1年間で4億円という金額は妥当なのかどうか、だ。金額の査定というのは、選手会のがんばりなんかの賜物でもあるし、不景気だから下げろというのは無茶だ。でもそれなら角度を変えて、もう少し仕事をシビアにしたってよさそうなもんではないだろうか。



週刊誌で時々見かける記事に例えばこういうのがある。

「3億円もらったのに腰痛で2軍暮らし」「FA移籍で4億円手にして、キャンプ中に肩を壊して1軍登板ゼロ」

選手たちは大衆に夢を与える商売。そりゃ生身の人間なんだからうまくいかない時もある。彼らにも選手としての地位を守るための選手会はあるし、こじれたら弁護士を連れてきたって文句は言わない。けれど少なくとも現在のペナントレースにおける「選手がもらう給料」と「それに見合う働き」を考えれば、「バランスが取れているとは言い難い」と感じるのはきっと僕だけではないはず。




ところで、日程的にはどうなのかを考えてみる。

前期の優勝チームを決めて、後期の優勝チームを決める。その上で年間優勝チームを決める。ちなみに前期・後期それぞれに、プレーオフをやる。短期決戦の興奮はみんな知ってるし、それをやらない手はない。で、年間優勝チーム同士でセリーグとパリーグの雌雄を決する日本シリーズということになる。

こりゃタイトなスケジュールになるなぁ。



いやいや、それほどのことはない。

前期・後期の日程中には当然セ・パの交流戦があり、今やリーグを越える対決は当たり前になっている。だから、あのオールスターはもう必要ないのだ(どうしてもやるんなら歴史をつなぐ為だけ1試合)。この期間中、リーグ戦はお休みになるから日程はそこそこ空いている。試合は組める。それに、順位が確定した後の完全なる消化試合はもうやらない。つまり、雨で順延になったりした試合は暫定的に追加日程を組むが、その試合が行われる前に順位が確定した場合には消滅する。順位が確定した後でも、現在は個人成績の為だけに試合が行われ、最多勝を取らせたい投手に中継ぎで登板させたり、防御率タイトルの為に先発して3回だけ投げるみたいなことをやっているが、ナンセンスだ。チームが順位を争っている中で個人の成績がついてくるのが筋で、チームは最下位に沈んでおいて盗塁王もへったくれもないではないか。個人的にいい成績を収めたいなら、優勝争いの中でその数字を残すべき。他チームより試合数が少なくなるケースが当然あるが、そこに不公平は、実はない。チームの勝率はきちんと数字で残っているし、順位が確定したのであれば、既にペナントというレースは終了しているのだから。



このように、オールスターをやめて、完全消化試合をやめたら日程的に特に問題はないはずだ。セリーグとパリーグの日程消化がずれて、たいていパリーグのチームが待たされるが、そういう間延びだってなくなる。どうしてもきつければ60試合ずつにしたらいい話で、2期制はペナントレースをがらりと変える妙案だと僕は思う。




クライマックスシリーズがセ・パそれぞれに2度行われ、前期優勝チームが2チーム誕生し、後期優勝チームが2チーム誕生し、リーグの年間優勝チームが2チーム誕生し、日本シリーズ覇者が誕生する。

すばらしい。

1年間に何度も盛り上がれるではないか。

このやり方だと、少なくとも前期だけとか後期だけなら横浜や楽天にも優勝の目が出てくる。それが無理でも前期または後期のクライマックスシリーズ優勝をかけた試合に出られる可能性がある。「この試合に勝ったら優勝!」という試合に出るだけでも、その夢を見るだけでもファンにとってはたまらない興奮に違いないわけで、そのような興奮を味わわずしてプロ野球ファンでいる意味がないではないか。


コミッショナーとかいう人がこの文章を読んでくれないかなぁ。


ペナントレース再考 前編



「最高」ではなく、も一回考えてみたら?という「再考」。

なぜかというと、ぶっちゃけペナントレースは盛り上がりに欠けていておもしろくない。

今日は、まずどういう点においておもしろくないのか?なぜ盛り上がらないのかという理由を書く。

僕が考えるのは大きく分けて3つ。


ひとつめ。日本人メジャーリーガー。

全米はもちろん世界の野球ファンを驚かせたトルネード旋風。その野茂を筆頭に、日本の野球が世界に通用することを、その扉を開いた選手は枚挙に暇がない。クローザーとして新人王を獲得した佐々木主浩。いわずもがなのイチロー(こちらも新人王)。デビューの年に即2ケタ勝利を挙げた石井和久。膝の故障と闘いながら、チームの主軸として活躍する松井秀樹。かつては長谷川。期待はずれと言われながらも松坂。

水が合わなかったり、所詮力が足りなかったり、何しろ峠を過ぎていて通用しなかったりという例はあるものの、彼らの殆どはチームの主力選手だ。チームの顔であり、大きな戦力だったはず。その彼らがいなくなるのだから、ペナントレースの魅力が薄れるのは当たり前の話。チームの勝敗を抜きにしても、松井のホームランやイチローのレーザービームをペナントで見ることはかなわない。

メジャー挑戦が悪いと言っているわけではない。もうひとつ上のステージで自分を試したい、挑戦したいという選手個々の考えは尊重されるべきで、世界の舞台で活躍する日本人が増えることは歓迎してよいと思う。

チームの主力が抜けるということは、出場機会が与えられなかった選手たちのチャンスでもあるわけで、そこにまた競争原理が働いてチームが活性化する。そこに頭角を現す選手の出現は楽しみにもなる。ただし抜けた穴を完全に埋めるまでには「相当の期間を要する」という問題は残ると言える。

まとめると、チームの顔が抜けることでお目当ての選手のプレーは見れなくなり、見る側の魅力が半減する。その穴を埋める新たなヒーローはいずれ現れるが、浸透するまでには時間がかかり、その間退屈してしまう。


ふたつめ。長いということ。

140試合という長丁場のせいで、ペナントレースのひと試合が軽いのだ。WBCにしろ、終わったばかりの日本シリーズにしろ、その前のクライマックス(シリーズ)にしろ、ひとつの勝ちとひとつの負けはその後を大きく左右する。高校野球がどうしてあれほどの感動と熱狂を誘うのか?ひとつ負けたら終わりという、毎試合が絶体絶命に追い詰まっているからだ。もちろんプロ野球は12球団しかないわけで、ひとつ負けたら、というわけにはいかない。サッカー日本代表のキャッチコピーはみなさんご存知の「絶対負けられない戦いがそこにはある」だが、「絶対負けられない」というのは誇張であって、「状況によっては負けられる戦い」も実はある。それはみんな知っているが、「絶対負けられない」というコピーがなんらのクレームもなく通用するほどに負けられないのも事実。だからこそあれだけ熱くなれる。そういう場面を何度となく体験すると、ペナントレースにおいては熱狂的なファンでない限りやすやすと熱くはなれない。実に軽いのだ。

ひいきのチームが7連勝を記録したとする。その時点で「よっしゃ!やったぞ!このまま勝ち進め!」とは思う。しかし、連勝すると、その反動で連敗があるのもまた過去から学んでいる。試合数をなお残していることから、「やたらと連勝してくれてもなぁ。まだまだ勝負は先だから。」と冷静になった頭は考える。第一、あんまり他チームを引き離して勝率を伸ばされると、「金にあかせて補強しているから勝って当たり前」とか「よその主力を札束で強奪して勝ちまくっておもしろいか」なんていう批判が出てくる。

逆に7連敗した場合でも、「まぁそういう悪い時期もあるさ。何せ先は長いから」などと悠長に構えて、もちろん負けが込むとファンとしてはおもしろくないが、実際にそれで終わったわけではないから「過去は水に流して前を向こう」とばかりに「次のカードはどことやるのかな?」なんて話に切り替える。それができる。

これは長い長いペナントだから。これがCSや日本シリーズなら、「あの場面でなぜ投手を交代させなかったのか?」とか「あそこで出す代打は○○でなくて△△だろ」とか勝てなかった原因なんかを必死に分析したりする。コアなファンならそういう議論をペナントでもやっているだろうし、勝利目前で逆転サヨナラを喫したりすればスポーツ紙もなんやかや騒ぎ立てる。が、それも一日で終わる。無様な負けの翌日にはどういう形であれ勝利さえすればもう帳消し。連敗した場合は「またか!」の文字が躍って、で、3連勝したらとたんに『復活ののろし』だ。

「まぁそういうもんだろうなぁ、ペナントレースというものは。」

なにせ長いからそんなもんかなとも思うが、そういう戦いを見ていても正直ちっともおもしろくない。血は沸かないし肉も踊らない。


みっつめ。テレビ(地上波)で中継されない。

僕の住まいは長崎県の地方で、子供の頃の巨人戦というのはヤクルト戦か中日戦だった、ような記憶がある。もちろんビジター。つまり、フジ系列とTBS系列の局しか民放局がなかったのだ。後楽園の巨人戦を見た記憶はあまりない。巨人が出ない試合はなく、ナイターでは必ず巨人が出ていたから選手の顔も巨人サイドしか記憶しない。よって巨人ファンになるのは自然の摂理。より身近に感じるからだ。

現在は民放も東京ローカル(テレビ東京)以外は受信できるから、日本テレビのコンテンツもちゃんと見れる。が、視聴率が取れないからやってくれない。

選手のプレーが見れないとなると、新聞やテレビのニュースで状況を知ることになるが、それは自然に「結果を見るだけ」ということになる。野球というスポーツは、試合終了までのプロセスを踏まえた上でないと盛り上がりに欠けるというもの。「試合を決めたのはあの選手のあの1打」だとしても、その選手の前の打席はどうだったか?最初の打席はどうだったのか?また、その選手は守備でどういう働きをその試合でしたのか?の情報があるのとないのでは全く違う。だから夜のスポーツニュースや翌日のテレビ・新聞で結果を見たとしても、勝ち越し点のシーンだけの情報では本当に面白みに欠けるのだ。

サッカー日本代表の試合を観戦するときに、テレビの前で応援する場合でもジャパンブルーのユニホームに着替えてという事がある。やはりそれは、一緒に戦っているんだという気持ちなのだ。熱烈なタイガースファンの場合だと、やはりトラのハッピを着てメガホンを持ってテレビに向かって六甲おろしを歌うはずで、そのような「場の共有」というものがないと熱も入らない。近頃の野球を熱心に見れないのはそういう事情もあるのだ。


では、どういう風になったらペナントがおもしろくなるのか?

こういう風に変えたら盛り上がるんでは?という私案を次回は書きます。


ペナントレース再考 後編(完結)


金曜日の夜は「熱海の捜査官」を見ます。が、これはまだ始まっていません。

「ハガネの女」のあと番組です。ちなみに「ハガネ」は見ました。
毎週そこそこ楽しみにして見ていました。吉瀬美智子の違う顔にやや面食らいながら。
この人を最初に見たのはあの「ライアーゲーム」です。それと・・・「のだめ」にもちょっと出ていました。

他は見ていません。よって僕の彼女の印象は冷たいクールビューティー。
が、ハガネは熱かった。というより第一話の、パジャマ姿でのだらしないあれがかなりのインパクトでした。
はぁ~こんなかよ!って感じ。もちろん演技ですが、僕の記憶にはほとんどライアーゲーム事務局の
得体の知れない影の女しかありませんから、その落差はものすごくありましたね。
この「ハガネの女」では、僕は子役に注目して見ていました。荻野目慶子の娘をやっていた子

(吉田里琴よしだりこ)は、前に二宮和也主演の「山田太郎物語」に出ていたのを覚えています。あの時はとっても可愛い家族思いの女の子だったんですが、今回は正に女優に成長していました。もちろんまだ10歳そこそこなんでベタな部分も見せますが、どうしてどうして、きつい、憎憎しげな表情や含みのある顔色などたいした表現力でした。

山石美奈の役をやっていた子は可愛いし、前に見たことあるかもって調べたら八木優希(やぎゆうき)ちゃんです。
「薔薇のない花屋」に出ていたらしい。じゃぁ僕は見てない。でも他に「医龍」が出演作として出てました。これは見たんだけど、記憶からは抜けています。でも将来が楽しみな子ですね。大橋のぞみは言うまでもなく、あの「白い春」です。ただ、周りの子達がうまいからかそういうおとなしい役だったせいか、のぞみちゃんは今回やや霞んでいたというか、「わたし演技派じゃないし」って本人のつぶやきが聞こえてきそうな印象を受けました。

賀茂和音役の今井悠貴クンは日にちを分かたずに見ましたね。上戸彩の「絶対零度」に出ていましたから。こういう事って結構あります。子役もせりふ覚えんの大変だろうな。


日テレの「美丘」は見るつもりでいたんですが、「必殺仕事人のスペシャル」とかち合ったせいで見送りました。
吉高由里子はそれなりに評価しています。僕が最初に見たのは「白い春」。この子誰だ?と思いました。存在感ありありでした。
この「美丘」という作品では難病を抱えた少女らしいですが、その病気を除くと天真爛漫で弾けたキャラらしいですね。それはほぼ彼女の地でいけるんでは?という印象を持ちます。実際のところは知りません。もうこれは見ません。交通事故死でもない限り、また別の作品に今後出る女優ですから。


それより、この枠ではNHKの「鉄の骨」を見ます。何せ一話をすでに見てしまいましたから、2話は見損ないましたが、この土曜ドラマは少し先ですが再放送してくれるし、僕にもちょっと談合のようなものに関わる経験が
過去にわずかながらあって、だから見たいのですよ。


それと、もう少しあとで始まるんでしょうけど仲里依紗の初主演ドラマがありますね。これは・・・一話だけ見てみますが。なんか巷ではこの子は演技力に定評があるらしく、果たしてどんなもんかなと思って。一応長崎県人だし。


今回のクールは割合押さえる作品が多くて、少ししんどいかもしれません。

気がつくと夏のドラマがはじまります。全部見るわけにはいかないので厳選しないといけません。


「逃亡弁護士」


これは見ると決めていました。で、今日早速はじまりました。
原作は週間ヤングサンデーに連載されていた作品。僕は途中から読み始めて、これは僕にしては滅多にないことで、前の方が抜けていたらよくわからないんでまずほんとに珍しいことなんですが、結構はまりました。毎週どうなるんだか楽しみにしていたんですが・・・・。
いきなり雑誌が休刊になっちまいました。休刊だから2ヶ月くらいで復活するんだろうなくらいに
考えていたら、本当にヤンサンは消滅してしまいました。何だコノヤロー!
他の連載作品もスピリッツに行ったり、オリジナルに移動したり、もうわけがわかりません。
ちょっとしてからスピリッツの別冊のかたちで月刊誌として再スタートを切ったんでほっとしたらば、そこではどの作品も軒並みなかば強引に最終回を迎える始末。何だコノヤロー!
毎週の楽しみが毎月になっても、それでも本当にそのひいき作品を読む時間というのは至福のときです。
読者を何だと思っているんだ?小学館め!不況のバカ。

それで、成田がどうなったのかは僕にはもうわからず、原作がいまだに続いているのか最終回を迎えたのかもわかりません。
今回はドラマなんで、それはもうどういう結末を迎えようとも割り切って最後まで楽しむつもりです。
ただ、主役の成田を演じるのが上地雄輔・・・ですか。なんとも軽くて・・・馴染まない気がしますが。
もう慣れるしかないんでしょうけどね。


世の中には色んな悪と悪意が渦巻いていて、その被害に合うという経験はそう多くはありません。でも結構あるかもしれません。一時期多かった痴漢冤罪はいうまでもなく、あの菅谷さんの冤罪はもちろんのことです。
その時に人はどう闘うのか?とりわけ、法の専門家である弁護士が冤罪を着せられ、逃げ惑う事になるなんて。
逃亡の際も、成田は自分が弁護士であるという誇りと信念を決して捨てない。行く先々で出会う人たちの助けを借りながら逃げ、そんな身でありながら法律を悪用してひどい目に遭わされた人たちを助ける。今の社会に問う、正義と信念を貫く物語です。
それにしても、石原さとみの唇が前より腫れたように見えるのは僕だけ?


「ゴールド」


天海祐希だし、長澤まさみだから観ます。
あのあひるみたいな口だけでも見ていて楽しい。
特に半泣きの時なんか最高です。


「科捜研の女」


沢口靖子のこの作品は、新ドラマが始まる時期に毎回期待するシリーズです。よしゃ、今回来た!
これと「相棒」はいつもどちらかをやってて欲しい作品。たぶん「相棒」は秋からじゃなかったかなと
記憶していますが、だから丁度いい。近頃は刑事ものがうけているらしく、色々とその手の作品があります。「科捜研」は鑑識の科学の目をもってして事件を解決に導きますが、こういう刑事もので、そういう角度から描いた作品のパイオニアじゃないかなと僕は思っています。

昔誰もが見て、そうして殉職シーンに涙した名作「太陽にほえろ」には鑑識なんて殆ど出てきませんでした。
あるのはいつも指紋が一致したかどうかくらいでしょう。それも、あの菅谷さんの事件でわかった「昔の科学鑑定は結構いいかげんだった」ことからしても、まぁここではお呼びじゃなかったわけです。思い起こすのは
「♪たったったーらたー♪たったったーらたー♪・・・・」という、刑事が聞き込みに回ったり目撃者を探したり関係者を問い詰めたりという(3つともほとんど同じ)、やたらに走り回るとにかく走る意味なく走るシーン。
堂本剛の「33分探偵」でもパロってましたね。そのような地道な捜査に意味がないとは言いません。「科捜研」でもそういう役割はちゃんと内藤剛志がやります。両面からやります。

以前に「相棒」は「水戸黄門」 だと書いた事がありましたが、この「科捜研」もそうなのです。

毎回間違いなく事件が起こります。若村麻由美とスイーツを食べまくってパーラーはしごしまくって終わりというわけにはいきません。事件を起こした犯人を捕まえるという結末に向かって、確実に物語りは進行します。

で、今回はどういった事件で、どういう事情が事件の背景にあって、どういう手口で、それをどういう捜査でもって明らかにしていくのか?毎回スタートとゴールがあることは共通していて、でもルート(捜査方針)や移動手段(手がかりは何か?糸口はどこか?)やマリコの同行者(誰がヒントをくれたか?証拠発見の足がかりは?)が違うのです。だから、視聴者は毎週マリコと一緒に事件解決までの旅行に同行しているようなもの。

景色を楽しみながら、先端科学の粋に驚きながら、人の思いに胸を熱くしながら楽しむのです。

さて今回はどういった趣向かな?と。


そういうことで言うと、フジでやった瑛太の「ヴォイス」もそうです。あれは出発点が遺体の解剖から始まりますね。そこから事件を遡って行きます。僕は主役の人をなんか生理的に好きになれなくて見ていませんが「臨場」もそうです。
今度新作映画が出来ましたが「踊る捜査線」のシリーズは警察組織は公務員であるという視点から作られています。これはまたちょっと違う角度ですね。

先日終わった上戸彩の「絶対零度」は「科捜研」に近い。既に終わった(未解決ですが)事件の証拠を引っ張り出してそこから捜査を始める。この場合、必ず何らかの新証拠や新証言が出てきて始まりますから、出発点は鑑識の活躍なくしては無理。他との違いは関係者の心の傷にスポットを当てている点です。

僕はこれ見ましたが、まぁほとんどでっちあげた感もありましたけどね。物語ですよ。こうだったんじゃないかと桜木巡査部長が想像したとおりに運ぶわけですから。

いやいや、どの作品もフィクションですけど。


ちょっと長くなったんで、今日はここまでにします。


90分と延長前後半の30分。トータル120分を戦い抜いた
日本代表。最後はPK線で敗れました。

本当によく戦ってくれました。善戦どころじゃなく、互角に戦って最後は
サッカーの神様に試練を与えられたんだと思います。
もうなんだか、よくわかりませんが、うるうるしています。


相手は生まれたときからボールを蹴っているというサッカー国。
そのチームに対して全く引けをとらない全力プレーで失点を凌ぎました。
得点はできませんでしたが何度も惜しいチャンスを作り、W杯における実績も歴史も
はるかに上回るパラグアイを脅かし驚かせました。


精度の高い日本のフリーキックは世界を驚嘆させ、しぶとくねちっこい日本の守りは
相手チームをいらつかせました。これほどまでにすばらしい戦いを見せてくれるとは、
応援する方としても全く驚いたというほかありません。


テストマッチではオウンゴールの申し子と化していたトゥーリオも、本大会に入ってからは
しぶとく懸命に守りました。体格の劣る中で唯一通用した中澤のボンバヘッドは
「こんなはずじゃなかった」と相手チームに思わせ、「疲れを知らねぇのか?」という長友
の守備が相手エースに仕事をさせませんでした。常に数的有利な状況を作って攻撃を防ぐ
日本の守備は、相手のミスを誘い、心理的に追い込み、それがあらゆるプレイに粗さをもたらし、
自陣近くでファールを犯すことにもつながったと思います。
それがデンマーク戦での得点をもたらしたのです。


精度の高いフリーキックを生んだのは、これはまさに練習の賜物だと思います。必ずしも、
決して小さい頃からサッカーボールに親しんでいたわけではない日本の選手がどうやってゴールを奪うか?
個々の技術において歴史の差から相手選手を凌げない日本人が、いかにゴールを奪うかを考えたとき、
直接入れちゃえばいいということで何本も何本もフリーキックを練習したんだと思うのです。
そう考えると、そこはやはり「よくそれを磨いたな」と脱帽するしかありません。


2大会ぶりにベスト16という結果を残した日本は、その残した実績以上に日本と世界のサッカーふぁんを
驚かせました。


僕はかつて中田が代表でがんばっている頃に「走ってるのは中田だけじゃんっ!なんで他の選手は攻撃にしろ
守備にしろそこで見てんだよっ!?」っていきどおった事があります。前にブログに書いた気もするけど、
もう記事を探すのがめんどくさいのでしませんが。今大会前に本田と中田が対談してますが、その時に「ひょっとして、当時孤立してました?」って本田が聞いたらしいですが、そういう状況だったのです。そういう風にチームが
まとまってないんじゃ結果は伴いませんわな。おそらく中田が余りにも(他の選手よりも)国外で
実績を残していたから反感にも似たものを感じていた可能性があります。

が、今回は大会前にぼろくその成績だったおかげで選手たちがいい意味で開き直って、そして一丸になって本来の「走るサッカー」に回帰できたんではと思います。
チームで戦うわけですから、やはり一体となっていないとそこは難しい。

それが今回の代表選手たちにはありました。


それがサポーターにも感動を与えてくれました。

中田が代表ユニを脱いで以降、全く応援する気がしませんでしたが、それはもうおしまい。
がんばる日本代表を、日本サッカーを僕は応援します。


もしこのPK戦で勝てたら、主力選手がイエローの累積で出場出来ないことから「傷だらけのベスト8」という
言葉を使って文章を書くつもりでしたが、そうはなりませんでした。
彼らは、日本や世界のサッカーファンにとてもいいものを、熱いものを残してくれました。


本当に見事な、あっぱれな戦いでした。
ありがとう日本代表!そしてお疲れ様!


延長に入ったぁぁぁ!!!
しびれるぅぅぅぅ!


日本よく守っています。よくしのいでいます。
前半も後半もピンチはあったけど、逆におしい日本のシュートも
ありました。


見ていて心配だったのは、自陣(ゴール近く)でのパス回しが
非常に危なっかしいとこ。おいおい、危うくミスしてしまわないかと
ひやひや。


でもなんとかしのいでる。オカナチオは評価できます。


さぁ延長に入った。ここからだ。

熱い時間帯に突入!!!!!!


がんばれ!がんばれ日本代表!!


それにしても、日本がもらったイエローカードはちょっと納得いかないのが
いくつかありますね。後半の10分あたりで松井がもらったのなんか、
まったく意味がわからない。なんでだ?

この大会は強豪チームが敗退する波乱が続いていますが、本当に何があるかわかりません。
ほとんど期待していなかったサムライブルーが初戦をものにし、そうしてオランダに善戦し、
とうとうデンマークを破って1次リーグを突破してしまいました。


岡田監督の株は急上昇。


テストマッチでぼろぼろだったこのチームですが、サッカーの原点に戻ったところがこの勝因では
なかったかなと感じます。実はテストマッチは僕はひと試合も見ていないんですがね。
何しろよく守り、よく走る姿が印象的でした。1対1でなく、2対1の状況を常に作っての守備。
攻撃も、フォローしあいながらのボール運び。チームがよく結束していたと思います。


後半、PKを与えて失点したときはまたぞろ悪夢がよみがえる気分でしたが、いや、よかったです。
引き分けでもいいんだから気にするなと言い聞かせ、そうこうするうちに常に笑顔の岡崎があれよあれよと
本田と二人でゴールに向かい、ひょろひょろと押し込みました。

3対1。もう大丈夫。時間もないし。


危ない場面も実際はいくつもあったんだけど、何しろよく守ってたおかげで相手のキックの精度を落とすことに
成功したんだと思います。


デンマークは実際いらついていました。前半の段階から、「こいつら固いな、しつこいな」と感じたはず。
そういうのが強引なプレーを引き出してファールを誘い、まずは本田がフリーキックで見事に先制。
もうその辺りから「こんなはずじゃない」ってなもんでプレーが雑になってたのではないか。
後半は怒涛のセンタリング責めでゴールに襲いかかりますが、それも決定機を演出できないもどかしさから
「そこでなんとかしてくれ」的なアバウトなもの。日本の緻密な、地味ではあるけれども懸命なプレーが
勝利を呼んだのです。

いやもう、まさにこんなうれしい事はないですね。
決勝トーナメントでも、本当にこの調子でプレーしたら岡ちゃんが吹いた「ベスト4」も
夢物語ではなくなってきますね。

おめでとう、日本代表。そしてありがとう。


さざんカルビ-喜びの遠藤

次ももちろん応援するから、頑張ってほしい。

カメルーン戦の完封と言い、負けはしたものの最小失点差のオランダ戦と言い、
今大会の日本イレブンは非常によく守っています。このデンマーク戦でも日本はきっちり守って
相手の攻めに対して常に数的有利な状況を維持しながらねちっこく防ぎます。
この調子なら、少なくとも引き分けは十分あるなと思っていたらばです。


な、なんと本田がフリーキックで先制してしまいました。蹴る前に、長谷部に言ってたのかな?
「下がれ!下がれ!」と支持していました。そう、彼は狙っていたんですよね?壁を下がらせることで、
ボールの軌道をキーパーに見せるタイミングを遅らせたわけです。お見事!豪快にゴール左隅に決めました。


さぁこっからだぞ!と僕は思いました。この1点を守るんではなく、もう1点取って勝ちに行けと。
やはり思い起こされるのがあのオーストラリア戦だからですよ。


そうしたら、やはり今の日本イレブンは魂入ってますね。

先制点を取った位置より更にゴールよりの場所でまたまたフリーキックもらいました。これは
そこでファールを貰った大久保のファインプレーでもありますが、今度は遠藤が蹴ります。
さっきと逆の右サイドに鮮やかに正確なコントロールにてゴール!


いやいやいやいや、こういう展開になるとは思いもよりませんでした。
前半終了時点で2対0。


きっちり守ってくれよ。そうしてもう1点ゲットしてくれ!そしたらもう、16強は目の前だ。
後半終了後に「全てが夢と消えないよう」全力で頼む!