NHKで日本語の番組が始まったので見てみた。国民的日本語がどうとかいうやつ。

フジでやってた「タモリのジャポニカロゴス」を思い出した。あれは時間も短かったし掘り下げが足りないというよりほとんど掘り下げてなくて、むしろストレスがたまったので見なくなった。


最初は「レバニラ」なのか「ニラレバ」なのかどっちだ?というもの。個人的には「レバニラ」だけど、理由は特にない。中国語を辿ると、副食材であるニラが先に来てレバがあとだそうで。けれども、この「ニラレバ」は日本語で発音する際には途中に「ラレ」が入る事で発音しにくくなる。これはスタジオの誰かが指摘していた。僕もそう思う。または感じる。よって、「ニラレバ」と言いつつも言いにくい為に「ニラレバ」だか「レバニラ」だか、などと誰かが言い出し、次第に発音しやすい「レバニラ」が広まったのではなかろうか?誰だったか年配のタレントが、「どっちでもいい」などとまさに「KY」な答えをしていたけども、日本語を考える番組に出演しておいて(ギャラ貰って)その態度はなんだと思う。本心はどっちでもよくても仕事なんだからどちらかの答えをするべきだろう。


閑話休題。

「よろしかったでしょうか」はやっぱりよろしくないと僕は思うのだ。

僕自身、お店で働いてもらうスタッフには使わないように指導している。

専門家によれば、この場合の「よろしかった」は過去形ではないとの事。ぼかし表現とかあいまい表現とよばれるもので、相手をおもんぱかって使うやさしい言い方であり、日本語に昔からあるもの。「ほう、そうだったのか」と一応ひざを打つ。よって、たった今注文をしたばかりの客(料理はまだ運ばれて来ていない)に対して「以上でよろしかったでしょうか?」の『過去形』が不自然と感じるのは間違った捉え方。

だが納得は出来ない。「文法的に間違っていないのものを非難するのはおかしい」という結論では足りない。全く足りないし、やっぱりおかしいのだ。そのような表現は確かにあるし、ごく自然に僕なんかも使う。「これでいい?」と聞く時なんかに、「これでよかった?」などと使う。この場合、「いい?」はシンプルな場合で、「よかった?」を使うのは、例えば連れ立って(仕事など)何らかの交渉を終えたばかりで、自分はいいと思うが、この結果に(君も)満足出来たか?という改めて問うような場合だ。僕の行動や言動を君は評価してくれたか?という意味合い。だから、そのようなぼかし表現が接客の場で使われる事が間違っている

接客の場合には立場というものが「はなっから」ある。態度がでかいのは常識的に客の方だ。客が注文を出したら、(お店のサービスにないものを除いて)無条件にかしこまりましたとばかりに受け入れるというのが接客のあり方。乱暴な要求でない限りにおいては全肯定的に受け入れるべきもの。そこで相手をおもんぱかる「ぼかし表現など必要ない」し、それはやはり不自然。「ぼかし表現」など不似合いな局面で使われるから誰も「ぼかしてる、おもんぱかっている」などと感じる事なく、違和感を覚えるのだよ。「ぼかし表現」は、どちらかと言えば対等もしくは上下のない場で使われてこそ有効であり、自然に聞こえる。接客の場でそれが使われた場合、客はどう感じるか?

「その注文で本当に満足なのかい?」とか「この料理をちゃんとわかって注文しているのかい?」とか「こんなにたくさん注文して所持金は足りるのかい?」などなど、どんな注文であるかによって様々だが、「客の懐具合や客の中身を怪しまれている」ような感じを受けるのだ。

「よろしい」と「でしょうか」という丁寧な言葉の真ん中に、怪しまれている感じを匂わせる「・・・た」を挟む言葉遣いのせいで、客の方は妙な不快感を残すのだ。こういうのを慇懃無礼と言うんではなかったか?或いはそういう感じを受けるのが不快なのだ。


番組では、店員と客という立場に言及するものは誰もいなかった。はっきり言って僕はこの件に関しては消化不良で、だからこうしてブログを書く事になってしまったわけ。

まぁ、日本語に関して色々と取り上げて調べるというのは個人的に大好きで、だから来週も観ようかなと思った次第。