この作品を見ようかと考えて、見ると決めたのは松雪泰子でした。僕が前回観た松雪作品は(ここでは準主役ですが)「容疑者Xの献身」。東野圭吾が原作のガリレオシリーズの映画版です。ここでは主役の福山雅治と堤真一の対決が見所ではありますが、下敷きになっているのは堤の松雪への献身的な愛です。堤は天才的な数学者でしたがその頭脳を持て余し、あまつさえ世をはかなんでたった今死のうとしていた所に偶然現れた(アパートの隣室に越して来た)松雪に恋をします。元夫を死なせてしまった(娘を守ろうとしたので過失致死)松雪をかばい、堤は死体遺棄の罪を犯します。その殺人が発覚しないよう緻密に計算されたトリックを彼は施し、それを暴こうとする福山との対決が話の中心。要は、愛する人を殺人の罪から守る為に自らが罪を犯し、「今までどおり、普通に暮らしてください。あなたを守る事が私の幸せだと(これは言ったかどうだか忘れたけど)」手紙に託すのです。結局は福山がトリックを看破し、堤は逮捕され、罪の意識に苛まれた松雪が名乗り出ますね。愛ゆえに罪を犯す堤と、殺人罪の重さと自己保身の狭間で揺れ動きながら最後には名乗り出る松雪。ここでは守られる側だった松雪がこのMotherではどういう役なのかなと興味があったのです。・・・ここまで長い。


番組の宣伝段階で、そのタイトルからして母性が関わる話で、そして重い作品だなとわかったし、松雪が主役だったので観ました。

それにしても、虐待によってその短い命を終える事件のなんと多いことかと考えさせられます。といっても、この作品は「命は尊い」という自明を突き出して責めるという単純なことはやりません。そのかけがえのない命を、だったら「救う為に誘拐してしまう」という罪を犯すわけです。作品内で散々訴えられていましたが、子供を救う為とはいえ親子の間に介入する事はとても難しく、しつけと虐待の線引きは困難です。冬の北海道で、ゴミ袋に入れられて放置されるというショッキングな第1話。そこで事故死に見せかけて連れ去ってしまうというこれは明らかな犯罪。おいおい、いったいこの2人はどうなるのか?この先どうするんだと見逃せなくなりましたよ。


ガリレオじゃないけど、この脚本は練りに練ってありましたね。少しづつしか見せないからこの人物にもあの人物にも興味が湧くし、先の展開が読めませんでした。そうしてこのつぐみちゃんの可愛い事といったら、ちょっと言葉にできないほどですね。傍から見ると、なんでこんな可愛い子を虐待するんだと思いますが、(なったことないから想像ですが)たぶん母親というのはああいう(虐待をしてしまう)状況に陥ったら最後、可愛さ余って憎さ百倍という心境に至るんではないでしょうか?子供というのは明らかに(特に幼い頃は)自分の分身であり、ピュアなぶんだけ本能で生きている子供に自分自身のエゴばかりを見るのではと思います。そのように、我が子に自分自身を重ねるからこそ、なりたい自分に今度こそ成長をと願ってその未来に期待もするのです。ですが、尾野真千はそうはなりませんでした。中盤で尾野真千子がどうして怜南にああいう仕打ちをするようになったかが語られていましたが、これは正直に言うと少々無理があった気がします。生活に追われる中で、我が子を愛す、守る気持ちをどこかに置き忘れてしまった感がありましたが、実際はどうなのかなと感じました。隣りのおばちゃんが支えてくれてたみたいでしたが、若くして他界した夫の両親や尾野真千子の両親について触れられずじまいだし、今時生命保険のひとつも入ってなかったのかよとも思いました。亡くなった原因も語られず。まぁ、亡くなり方によっては保険金が入りますからそこには触れなかったんでしょう。


それよりも、奈緒とつぐみです。奈緒の母は実は育ての母で、うっかりさんが実は実の母で、うっかりさんは奈緒を娘とわかっていながらそれを明かさず、奈緒は実の母を恨んでいてでもうっかりさんが実の母だと気づかないままという、更に更に、つぐみが自分の孫だとばかり思っていたら本当は誘拐された道木怜南ちゃんでした。いや、ややこしい。

すじをひたすら追っていたら終わりそうにない。


この作品を観て感じたのは、母の母たる強さですね。最終話でうっかりさんが言いますが、お母さんにはお母さんがいて、そのお母さんにもお母さんがいるという事。みんなお母さんから生まれてくるという厳然たる事実です。奈緒がつぐみとの将来への不安を口にした時に言います。

「あなたとつぐみちゃんははじまったばかり。ふたりがどうなるのかはあの子が大人になった時にわかるわ」

それは、「その時までしっかり頑張りなさいというエール」だと受け取りました。

先ほど触れましたが、尾野真千子の母に関する描写はありませんでした。つまり「彼女の母」から「怜南の母」への受け継ぎはなかったのです。どこかで断絶しているんです。だから尾野真千子は強くなかった。母たる強さが足りなかったんだということです。


奈緒は赤の他人であるつぐみに対して「母になる」と決意しますが、記者の山本が言うように、現実社会では「母性を抱いた事が罪」です。現実に母になるには決められた手順を踏む事が必要で、ちゃんと妊娠して自分のお腹から産まなきゃいかん。そうでなければ養子縁組くらい(これも手順が必要)しかありません。そういった手続きなしに、いきなり「母になる!」と宣言してもそりゃなれませんわな。けれども、フィクションの上では奈緒は母としての強さを持ち合わせていました。どういう事かというと、冒頭に触れた「容疑者Xの献身」における堤のように、犯罪を犯してまでもそれを守るという覚悟です。死ぬ気で守るという事です。死ぬ気と言っても本当に死んだら終わり。この場合、社会的な地位を脅かすことになろうとも、犯罪者になってもです。社会的な死を賭したわけですね。これは、最終話で明かされますが、うっかりさんが放火によって夫を殺害したという殺人罪は、実は奈緒によって引き起こされた事件であって、それをかばってあの世まで持って行った訳ですよ。まさに殺人者になってまでも娘を守ったのです。あのうっかりさんの人柄からして、とてもそういう風には見えないと言わせた周囲の評価は正しかったのです。そうしてそのうっかりさんの懐の深さといったら、まぁフィクション上でしかあり得ないかなと思わせるほどの聖なる母ですね。


まぁそれにしても、いい作品でした。

最終話の前の回のラストで泣きじゃくる継美の姿は涙なしには見れませんでした。

「もういっかい・・・ゆうかいしてっ!」って言われた日にゃ、僕はもう・・・どうしようかと思いました。


坂元裕二さんの脚本では、この前終わったNHKの「チェイス」(江口洋介主演)も見ましたが、人間というものの奥深さを感じますね。